makoto_fujimotoのblog

株式会社進角
代表 藤本信のブログです
どうぞよろしくお願いします

カテゴリ: 雑感

会社の魂って、意外と現存する体制ではなく取引先や離れていった社員の方に宿っていることがあるんじゃないかなぁ

例えば、かつて名機と呼ばれるような製品を作っていた会社がつぶれてしまったけど、当時のファンがそのスピリッツを懐かしがり、さらに残存している取引先が復刻製品を再現するみたいに。

リクルートなんかは有名だよね

例えばガソリンを売る為に自動車をタダにするなんてありえないし馬鹿馬鹿しいと思う。

自動車がタダにならないのは、そもそもガソリンを売る会社とは異なるので、利害が一致する部分もあるが一致しない部分も多くあるからだ。
メーカーは基本的にお客から得た収益で開発と製造を行い社員に報酬を払う。
ガソリン販売会社も同様だ。

さらに例えると病院と霊園が同じ会社だったら倫理的に問題だし笑い話にもならない。

この笑えない話がネットの世界では当たり前のようになってきている。

ネットではこの自動車の開発・製造・人件費に相当するコストをファイナンスによってまかない、そして媒体の利権を出資者が効果的に吸い上げるような構造が多い。だから相対的にイニシャル部分のコストがあいまいとなり、財布が一緒だから極端な話、開発費がタダでも良くなる。このような会社は影響力が大きいのでタダが業界にとって(悪)影響を及ぼす。

これってそろそろ世界規模で規制したほうがいいんじゃないかと思う。

例えば初期製造系の会社と運用業務や消耗製品を扱う会社は株式を持ち合っちゃいけないとかそんなことだ。

ずいぶん昔、某コンピュータ大手がソフトを1円で入札し、ハードの収入で儲けるという戦略をとっていたことが「独占禁止法違反(不当廉売)」の疑いがあるとのことで大問題になったことがあった。

この法律って当然アメリカにも同様のものがあって、昔はマイクロソフトとかよく訴えられてたけど最近聞かないねぇ。あの会社らが訴えられないのは強力なロビイスト達が暗躍してるんだなきっと、それか国策だね。

大丈夫なの?

って聞かれるのも聞くのも好きじゃない

しかし結構安易に使われている言葉だと思う

不安を解消したいなら、相手に問題解決のためにどんな具体的対処を行っているかを聞き、その上で自分の判断で"大丈夫かどうか"を決めるべきだ。

大丈夫か否かを特に下の人間や立場の弱いものに答えさせるのは責任転化だし甘えだと思う。

特に僕は技術者なので"大丈夫か"という問いに安易な答えは返さないようにしている。
どうしても答える必要があれば「こういったケースでは」と極力範囲を限定したり、過去の経験値に基づいて"大丈夫だった"と答えるようにする。
あるいは逆に何千時間のうち数時間は"大丈夫じゃない状況が起こる可能性がある"などと答える。
技術者が100%論理的確証のないことをYES/NOで答えるのはむしろ無責任だと思う。

2010年6月13日深夜、紆余曲折を経て採取したサンプルを持って地球に帰還するというミッションをこなした小惑星探査機はやぶさ。

数々のトラブル発生は経験と技術力の低さがもたらしたもので、エンジニアリング的には賞賛すべきことではないが、そのフェールオーバー思想には特筆すべきことが多くあると思う。

好ましいエンジニアリングとは壊れた場合に修復を可能とし、最悪の障害が発生しても致命的な事態に陥らない設計だ。

僕は前から、一度宇宙に旅立ったら二度と修理することが不可能な無人探査機は全ての技術者にとって学ぶべき集大成のような存在だと思っている。

僕なりに整理すると

・起こりうる事態を可能な限り予測し仕様に織り込む
・バックアップ機能を持たせる
・プログラムやシステムの組み直しが(リモートで)できる
・自律性を持たせる
・障害が他へ波及しないようにする
・想定外のことがあることを想定する

これらは、例えば基本的に遠隔地に設置し、よほどの障害が無い限り現地に再び出向くことがないサーバやシステム運用の設計思想に不可欠なことだ。またプログラム開発においては例外ケースや障害があった場合のリカバリーを想定した設計思想だったり、理想的には"自律的"な動作をすることが望まれる。

技術者たるもの単に擬人化して感動物語に浸るのではなくエンジニアリングの集大成として宇宙開発を捉えて欲しいと思うな。

自分は上京してから知り合った友人知人はほとんど仕事関係のつながりなので、オンとオフの人間関係にあまり区別がないし、そうすることに抵抗もない。仕事が遊びにつながり、遊びが仕事につながった。

mixiを始めとするSNSも、今や嫁からは遊んでいるようにしか見られていないが、ひと昔前は何度も「同じもの、同じ機能を作れないか?」と引き合いがあり、実際いくつかのクローンを開発して、そこそこ収益につながったものだ。

職業上24時間365日メールを読める環境が必要だった事もあり、仕事用のメールアドレスとプライベートのメールアドレスも同じものを使用していた。メールシステムの管理を行い、運用ルールを決める立場にもいたので特に咎められる事も無かった。

しかし退任することが確定したからには会社のメアドをこのまま使い続けるわけにも行かないので、各所に登録しているアドレスを一時的に現在使用しているプロバイダで発行したものに切り替える作業を行っている。

これが結構面倒な作業で、しかも自分が匿名性が高くていくらでも代用可能な個人になってしまう感じがして少し寂しい気持ちになる。

早くドメイン取らなきゃなぁ

すこし上の立場になると厄介になるのが遅刻を頻繁に繰り返す部下の管理です。

何度注意しても繰り返す輩がいますね

ひどい場合には始末書を提出させ、生活面での具体的改善策を考えさせます。

改善策でよくあるのは「早く寝るように心がける」「食生活を改善する」「目覚まし時計の数を増やす」などだが、経験上は焼け石に水だ。しかしこれ以外に約束出来る対策はあまり無い。

子 供 か よ っ !  と言いたくなります。。

目覚まし時計というのは、言ってみれば自分の自律性を補助するチェック機構だが、これをいくら増やしても「自らキチンと起きて決められた時刻までに出社する」という"要求仕様"に対する"品質向上"につながらないことが多いと思う。また余計な目覚まし時計費用も発生するし、ひどい場合には上司の責任において毎朝電話で様子を確認する、などといった馬鹿げたコストが発生する場合もある。

つまりチェック機構を増やす対策によって品質を向上させるにはとても難がある。

僕が以前勤務した自動車メーカーでは全社員にこのようなスローガンが謳われていた

「品質は工程で作りこむ」

自動車は何百点もの部品で構成され、一日何千台も生産を行うにもかかわらず、基本的に大きな故障は起きず何年間も使用され、かつ人命にかかわるような商品であるが、完成後のチェックというのは"数分"しか行われない。つまり作業工程や設計思想によって品質を保つという管理手法が一般的だ。

これはメーカや建設関係者以外には意外と知られていない事実かもしれない。

そして工程での品質の"作りこみ"は専属の検査員が張り付いて全数チェックや二重チェックを行うのではなく、製造にかかわるスタッフ自らが担い、これをカイゼン活動やQCサークルによって体系的に行われている。"工程"であるから、人だけじゃなく道具や素材や環境も重要な品質向上の要素となる。

自分は遅刻の常習性を一度も指摘されたことが無いので、理由は分からないが、こんな困った奴らでもいつの間にか遅刻をしなくなる。それは性能のいい目覚まし時計を導入したおかげで無いことは確かだ。

IT業界における品質管理手法については、開発手法もかかわる人の意識においてもまだまだ確立されているとはいえない。依頼する側も依頼される側もチェック機構を増やすことが唯一の品質向上対策であるかのような"あまり正しくない"認識をしている。チェックが充実すると逆に荒っぽく作って不具合はデバッグで見つけてもらおう、という意識が生まれる可能性もある。うがった見方だけど特にWeb業界では元メーカ出身という人に出会うことが非常に少ないことも要因にあるかもしれない。

「品質は工程で作りこむ」

これはソフトウェア開発においてもとても重要な意識だと思う


応用して
「ブランドは工程で作りこむ」
「利益は工程で作りこむ」
なんていかがでしょうかね

昨夜、ホンマでっかTVで紹介された、ある追跡調査の結果が興味深かった

将来の目標について
Aグループ 紙に書いて残している 3%
Bグループ 目標はあるが紙に残していない 18%
Cグループ 目標を考えてもいない 79%

というグループ別の平均年収を数年後に比較したところ
Aグループの年収がCグループの年収の10倍にまで差が広がっていたという。

またAグループの思考の特徴として、最良の状況を行動指針にするのではなく最悪の状況を行動指針とする傾向があったとのこと。

日本だと10倍ってのはなかなか難しいと思うけど、まあ納得

驚きなのは目標を考えてもいない人が79%もいること
考えるだけならタダじゃん!?
これは簡単に10倍いってまうわ~w

うろ覚えなので微妙に番組内容と多少違ってたらごめんなさい

「てぼっけ」という秋田弁があるけどこれに相当する標準語が見あたらない

秋田弁は何かの語句を短縮した形が多いので、伸張すると「手が呆けている奴」ということだろう。

利用シーンとしては、道具をうまく使えなかったり、グラスをしょっちゅう倒したり、レジ打ちがおぼつかなくて時間がかかったり、料理の手つきが悪かったり、見ている人をイライラさせる様な"手の不手際"を目撃した際に「この!てぼっけっ!」と思ったり言ったりする。

「不器用」  ・・・これは行動だったり性格まで入るからなんか違う
「ぶきっちょ」・・・ニュアンスとしては近いが、なんか甘えた感じが違う
「手元が狂う」・・・これは"てぼっけ"の結果だし
「ドンくさい」・・・これは意味が広すぎる

つまり標準語には手先が頭のように呆けている状態についてうまく表現する言葉が無いんじゃないかな。思うに江戸や大阪をはじめとする"都会"では専門の職人による商工業が発達してきたので一般市民はある程度"てぼっけ"でもそれほど支障がなかったから、言葉も生まれなかったんじゃなかろうか。

さらにエスカレートすると「あだってらんでねが!」となったりするが意味は割愛するw


これに似た感じで「よったいね」という方言があって、「用が足りない」「頼りない」つまり使えない人間を揶揄する言葉もある。

なかなか方言は面白いね

密約って基本的に、どちらかが一方的に不利益を被るのではなく、双方が等価だと納得して結ぶ約束事でしょ

それに第三者に明らかにしない当事者同士の約束なんてよくある話だし

だから、密約そのものが悪と考えるのは能天気すぎる

っていうか、たとえば非核三原則なんて、そもそもアメリカ側からしたら、日本が勝手に宣言してるだけで、明文化された条約、つまり国家間の契約条項があるわけじゃないんじゃないの?(自信はないが)

アメリカに"日本国に核を持ち込まない"ってことを明文化させた条約を交わし、それが有効な状態が保たれていて、初めて「条約違反だ!」って法に訴える議論が成り立つのであって、そもそも約束していない一方の原則に反していたからって、"密約があった"って理屈にはならんだろ。

もし国益に反し密約を交わしたとされる人を糾弾したいなら、まずは国家反逆罪を作るのが先決でしょう。

高倉健の「不器用ですから」という有名な台詞がありますが、失敗を繰り返すけど素朴で憎めない性格の人は、現実の社会でも、そこそこ好感が持てる人物として扱われることが多いのではないでしょうか。

逆に「器用ですから」と公言しても、むしろ"いやな奴"と後ろ指を差される可能性があるからそんなことは誰も言わない。

しかし実際的な仕事や生活においては、器用な方が作業がうまくできるし、自分や周囲に対しても、将来に渡って利益をもたらす可能性が高いことを誰でも知っている。また不器用な奴は教育にも時間がかかるし、仕事を任せた場合のリスクも大きい。

でもキャラクターとしては「不器用」な方がおおむね好感を持たれる

これは器用であることが"利益"を象徴しているせいだと思う

なぜか日本人はビジネスの場において、どの程度の利益を取っているか、どの部分から利益を生み出しているか、明らかにすることを毛嫌いする傾向にあると思う。

以前、大手の人材派遣会社が散々たたかれた際、"ピンはね"と労働者側が訴えた出来事があったが、僕はすごい違和感を感じた。なぜかと言うと"ピンはね"すなわち手数料収入等を原価に上乗せしなかったら、どうやって派遣会社は経営を続けられると言うのだろうか。そして、この企業が何パーセントの粗利を取るのが妥当であるか、という肝心な議論は全くされなかったと記憶している。

したがって、この国で本当に器用な人は逆に、不器用で汗をかいて何とかギリギリのところで仕事を仕上げたように見せ、利益なんかには疎いことをアピールする必要がある。

昔から「もってけ!ドロボー」とわめいて、全く利益が出ないどころか、赤字覚悟であることをアピールすることが営業手法の一つとして浸透している。本当に利益が全く無いのに、こんなことをする奴がいたら単なる馬鹿だ。

だからオリンピックの代表選手は出場の理由として、「自分の最も有効な資源は身体能力なので、これを最大限に活用して金メダルを取って、人生を経済的に有利にしたかったのです」などと絶対言ってはいけない。

このように「利益に疎いほうが由とされる」国民性が、グローバル化にうまく適合できず、というか他国にまったく理解されないことが、20年近くにも渡って負け続けている原因じゃないかと思う。

腹を割った話って言うのは、私の利益とあなたの利益をオープンにして妥協点を見つけましょう、ということだと思う。それがイヤならもう一度鎖国したほうがいい。

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